わたし、ミキオタをやめます。
宣言をするようなことではないけれど、宣言でもしておかないと。ずるずるともやもやを連れたまま前に進めない気がした。
ニューフェイスに怯える数年間

きっかけは遡ること2016年。上海にディズニーランドがオープンし、そこへ登場した新しいお顔のミッキー(&ミニー)だった。この新しいお顔、通称”上海ヘッド”は世界中のディズニーパークで順次切り替わり、東京も刻々とその時が近づいていた。遠方組なこともあり多くても年に3回のインしか出来ないわたしは毎回これが最後になるかもしれないという覚悟でミッキーに会いに行っていた。
意外と残された猶予
Xデーは2019年3月26日だった。結果的に3年猶予があったがイベント終了の度、翌朝Twitterのタイムラインを確認する手が震えたことを思い出す。誌面のネタバレから匂わされ、Xデーが3月26日だとは分かったがまさか一斉切り替えだとは思わず、当日、現地からの報告ツイートが上がる度落胆した。
よくよく考えれば日本のオタクの習性をみても順次切り替えをすれば混乱を招くのは当然で、一斉切り替えが妥当だと分かるが信じたくない一心で冷静さを失っていた。
ニューフェイスとの対面

2019年5月、新しいお顔のミッキーと初対面する機会が来た。
かわいい、とは思う。
ミッキーに似てる、とも思う。(いやそりゃミッキーなんだから似てるもくそもないんだけど)
ただ、【わたしの大好きなミッキー】ではなかったんだ。
ミッキーはミッキーだ。この論争は何度も見てきた。否定も肯定もしない。誰も悪くない。ただわたしは今まで見てきた馴染みのあるミッキーが【わたしの大好きなミッキー】だったんだ。わたしは新しいお顔のミッキーを否定する気持ちは微塵もない。別物だと思う気持ちを理解して欲しいとも思わない。ただただ自分の中の想いの問題。
もう二度と会えないと思うととても悲しかった。
コロナ禍で遠ざかる舞浜とのディスタンス
【わたしの大好きなミッキー】はいなくてもパークは大好きなままだ。今までのミッキーとの思い出もある。新しいお顔のミッキーとも新しい思い出を作っていくんだろうと思っていた。
そんな時に新型コロナウイルスがあらわれた。
パークは休園を経てウィズコロナで懸命に運営を果たしている。そのことに関しては素晴らしいし頑張って欲しいと願う気持ちしかない。ただわたしがパークに求めていたもの、癒されていたことのほとんどが現状再開出来ずにいる。一つはショー、パレード。もう一つはキャラクターグリーティング。わたしの中で重きを置いていた2つがほとんどないパーク。
一気に心が離れてしまった。
たらればを言っても仕方ないのだが、お顔が変わってなければ、コロナがなければ、どうしてもそう思ってしまう楽しかった思い出が今の気持ちに消されてしまう前に。
わたしはミキオタを辞めることにした。
これからのわたしと舞浜
ミキオタも辞めるしDオタを名乗るつもりもない。でもコロナ禍が落ち着いたらまた舞浜へは行くつもりでいる。これからは思い出のアルバムをめくるように、ゆっくりのんびりパークを歩いてみたい。そしてまたショーやパレード、キャラクターグリーティングのあるパークになるといいなと思う。
最後に舞浜フェイスに思うこと
かっこよくて、キレキレで、かわいくて、優しくて、あったかくて、全部包み込んでくれた【わたしの大好きなミッキー】ありがとね。忘れないよ。
